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人生100年時代の片隅で
「人 常ならず 変化がある」
昨年末に喪中のハガキ、新年には年賀状を頂き、お付き合いしている皆さんの消息が分かります。また、その中にご自身の年齢からして、この賀状を最後として今後のお付き合いを終わらせてもらいますと添えがきがあったりしました。
また、1月の半ばに入り近しい経営者の友人からの封書で、ご子息に社長を譲り、ご本人は会長職に就いたとの報を頂きました。「人 常ならず 変化がある」を強く感じております。
「余生(よせい)を考える」
中小企業経営者における創業社長の身の振り方については、昨年11月に「大廃業時代・創業社長の事業の継なげ方 終い方」を上梓して、誰しも年齢からする身の処し方に関する実情を理解しておりますが、その後の「余生(よせい)」についてふれてみます。
要は人や事業会社にはそれぞれの考えや事情があり、「事業の継なげ方 終い方」もさまざまです。余生とは個人的なことがらとして“やるべきことをやり終え、余ってしまった人生”と理解していますが、この“余った人生”どのように過ごしていくかを人生100年時代をベースとしてみますと、私のように仕事人間には“どう過ごして行くか?”と人一倍深い思いを巡らしたりしております。
「モノとコトの整理」
ここ数年来「モノとコトの整理」に心がけ、その道半ばですが、未だ未だ処理して遣り残しを少なくする心づもりでも、結果は不十分なありさまです。
そこで「余生を謳歌して余裕綽々な方など本当に稀なこと」と思いつつ、自分はやるべきことが山積しているから、それからのことは、先ずこれ等を片づけてからと思うようにしております。
数多くの友人、知人に限らず年齢を重ねなかには、ご自身も家族の方も健康を害したり、思わぬことで新たな地に転居して、生活の糧のために慣れぬ仕事をしたり、これも「人生いろいろ」です。誰しも身辺整理の心づもりなのかと思っております。
「終わらない人生」
かって近しい友人、知人が私の古希のお祝いをして下さった折に、御礼状に俳句をつくり添えたことを思い出しました。
青 年 の 気 概 を 語 る 古 希 の 宴
余生とは 仕上げの刻 ( とき ) と 友 に 云 う
近年、巷間では「人生100年時代」と云われていますが、私たち人間にとって何が幸せなのであろうか?と考え、人は誰しもそれを知るための旅人なのかと思ったりしております。
昨年末に私の尊敬する事業家でコンサルタントの方よりメールで
「人生100年時代」、どう生きるか。生き様です。
学ぶ30年、働き育てる30年〜40年。
そして、活かして生きる30年。
「終わった人」なんて、とんでもない。
「終わらない、学び続ける人」でいたいものです。
とありました。「我が意を得たり」と感激いたしております。