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人生百考―人間は考える葦である―
「人生・心のあり方」をテーマに、ここ数年来のメモ書きを纏めた冊子を9月上旬に上梓致します。冊子名は「人生百考」―人間は考える葦である―です。
自分の生き方の奥底においている「誠実を尊び 労を惜しまず 言い訳けせず」として来た折々の場面で感じたことがらのメモ書きを整理したものです。
これらは私が生きて来た歳月を振返るとき、ものごとが上手く行った時は深くは感じず、反面の「しまった」との痛恨の痛みのなかで分からせられたことがらの多くです。その一部を紹介いたします。
●人の営みの結果
自然災害を除けば、この世の出来ごとはすべて人の営為つまり人の行いの結果。仕事をはじめ、勉強や趣味、遊びももちろん人の営為、つまり人の意思が働いていることに他なりません。そしてその営みを見る限り、人の欲望を初め自己実現の形や結果は、いつの世も変わらないように思えます。
●十年を区切りとする
ことを成すために十年は覚悟を。 目標を達成する、結果を出すには思いのほか時間がかかります。 あせらず、十年をひとつの節目として考えてみる必要があります。
※ イエローハットの創業者鍵谷秀三郎さんに「10年偉大なり 20年畏るべし 30年歴史なる」という言葉があります。 この十年は思いようで、長くとも短く感ずる今日この頃です。
●社会に関わっていく生き方
自分の人生は、終始一貫して「生産人口」の域内にいたいものと努めております。「人生百歳時代」といわれますが、一般論の「生産年齢人口」(生産活動に就いている中核の労働力15−64歳)を過ぎても、社会に関わっていく立場、いわば「生産人口」の域内にいたいとの思いが強い今日この頃です。
● 我慢と忍耐の違いを知る
「我慢」と「忍耐」は同じではありません。忍耐とは、苦しさ・辛さ・悲しさなどを耐えることですが、我慢には仏教の言葉で、強い自己意識から逃れられず起こす「慢心」の意味も含まれています。 逃れることのできない慢心とは、いわば修行のひとつと心得たいものです。
●「争い」から学ぶこと
人生をより深く学ぶなら、人との争いごとを避けてばかりでは出来ません。そのときは自分自身にとっての試練と知ることです。なぜ起こったのか、どうしたら回避できるのか、その分析と反省こそが次の争いごとを避ける手立てです。 また、争いですから負けることも、あるいは傷つくこともあります。しかしそれは相手も同じ。立場を入れ替えて考えてみるのも、より自分を成長させてくれます。
●「信じる」ことの危うさ
人を信じることはたしかに大切であり、しかも意外と易しいことでもあります。 ところがそれはリスクの大きな「盲信」となりかねないことを知っておく必要があるでしょう。 盲信すれば深く考えずに済みますから気持ちは楽になります。その代わり、背後にある真実や事実が見えなくなり、後々思わぬ痛手を負うことになります。
●勝ち馬に乗らない
なにごとにおいて大切なことは、一つひとつ自分の判断で前へ進むこと。他の人の判断に頼って勝ち馬に乗るようなことをしても、結果は必ず自分に返ってきます。最終責任は自分 が取らなくてはならないのです。 勝ち馬とは結果のわかった勝負、つまり安易な選択肢です。「読み(状況を)・踏み(先を瀬踏み)・決め(決断)」は自分で。