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人は間違いを犯すもの
誰しも年齢を重ねると共に過去を振り返り、自己反省の思いに駆られることが多くなります。これは私自身も全くそうだからです。
かつて自分自身の安易な経営判断で間違いを犯し、失ったものが大きければ大きいほど、その思いは深いものだと感じます。人にもよりますが、その原因とは己の未熟さや焦りだったり、見栄だったり、その他さまざまです。
ですからこれらのことから私が得た知恵として「人は判断ミス」即ち「人は間違いを犯すもの」だとして認識してこん日に至ります。
去る5月22日の日経新聞の「大機・小機」に「無謬性(むびゅうせい)の原則と全体主義」のタイトルにて以下の記事があり一部を引用します。
日本の政府や大企業の官僚組織でほとんど無意識のうちに前提とされているのが、「無謬(むびゅう)性の原則」である。「ある政策を成功させる責任を負った当事者の組織は、その政策が失敗したときのことを考えたり議論したりしてはいけない」という信念だ。
――中略――
官僚が無謬であるべきだという思いは、確かなものを求める国民の自然な心の動きだが、究極的には全体主義をもたらすような不健全な信念だと心に刻むべきだ。自由な民主主義国家では「官僚は失敗する」という可謬性を前提に政策を論じたい。(風都)
私は長年、起業塾や経営塾の講義の中で志を持った若い人たちに対し、「人は間違いを犯すもの」との前提意識をもって、ことにあたることの大切さを説いて来ました。
・起業・独立は全ての入口だ。しかし、のちのちの出口のこともよく考えてスタートすること。
・誰しも事業の成功を夢みるが、中小企業とは倒産しやすい生きものだから、慎重かつ、 全身全霊で取り組むこと。
・中小企業経営者は事業の失敗は命取りで、その結果責任を必ずとらされられることになるか ら、何事も恐れを持って臨んでいくこと。
等々、単なるトップの間違いは失敗で終わらず、それが他に及ぼす悪影響に触れてまいりました。私は幸いなことにこんにちあるのは「致命的な間違い」をしなかったことだと思っています。
最近の官僚や大企業の経営者、そしてスポーツの指導者の不始末のありさまを連日マスコミを通して知らされ、「人は間違いをする」「その結果責任はとらされる」ことが「人の営為(えいい・人々が行なう、あるいは起す事行ない)の原則」だと改めて痛感させられております。