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◆生涯現役の真のかたち
去る7月18日に105歳でお亡くなりになった聖路加国際病院名誉院長 日野原重明氏には数年前の内輪の講演会でおめにかからせて頂きました。
その頃はちょうど100歳だったと記憶していますが、おからだに多少の不自由さはありましたが、矍鑠(かくしゃく)と身ぶり手ぶりでの講話を拝聴致しました。
お話のなかで、人生にはターニングポイントが誰しもあり、自分のときはよど号ハイジャック事件で乗客の1人となったことだったとしておりました。ようやく開放され飛行機のタラップを下りて地上に降り立ったとき、自分はこれからは世のため、人のために生きようとのミッション(使命感)に目覚めたとのことでした。その当時、彼は58歳。以後は医療の世界ばかりでなく、著述や音楽を含め文化面の活躍は多彩を極めて広範囲に及びました。
私の周りにも「生涯現役」と標榜し、ご活躍の方は散見されますが、彼のように国内はもとより海外まで大きく羽ばたき、驚くぐらいのパワフルの方は実在しません。今後、私は他の方に軽々しく「生涯現役」などとの言葉は謹んでまいりたいと思っております。
◆いまあるのは妻のおかげ
私と同年代の創業社長との久しぶりのランチの席での話です。
彼は最近、ご子息二人(兄が社長で本社、弟が専務取締役兼工場長で勤務)への事業継承もスムーズに運び、ご本人は第一線を退き、特別用事がなければ出社しないとのことでした。
お話しでは朝日カルチャースクールのスケッチの教室に通っているとのことでした。
その話の延長で「こうして物心とも安隠の日を迎えられての現在の心境は?」との私の問いに「なにをおいても妻への感謝と敬意」とのことでした。
そのことがらを細かく私に説く彼の顔は、世間で云う古希を過ぎた人と感じさせない程心底輝いておりました。
また、創業者ですので当然のことながら、相続のことで顧問税理士を入れての家族会議に話が及びました。そこでご子息二人が「お金はお父さんのために好きなように使って下さい」との申し出てあったとのお話に、目頭が熱くなりました。「争族」の醜さを仕事柄数多く承知していますので、なおさらのことです。
彼も例に漏れず山あり、谷ありの人生だったと承知していましたが、晩年をこのような状態と心境で迎えられ、日々を心安らかでいられる方は本当に数少ないことだと思うと共に、立派でかつ幸せな方だと思わずにいられませんでした。
思いますに人は余生(よせい)と云う時期に、財産はあり過ぎても災いし、無くても心もとないことは、現実のありさまだとお話を伺いながら痛感しておりました。
◆友だちの呼称とその形
年齢を重ねて来ても、相変わらず知識欲は衰えさせないよう努めています。
昔から「魚は頭から腐る」の例えで、これまで知らなかった語をそのままにしないで、PCで検索するようにしています。云わば「私の脳トレ」です。
直近では「腹心の友」があります。調べますと「心から信頼できる人物のこと」とあります。この語は今騒がれている安倍晋三総理と学校法人「加計学園」の加計孝太郎理事長の仲を総理自身が公の席で語ったことから周知されております。
これに加え少し古い話になりますが、これも政治がらみのスキャンダルで世間を騒がせた、世に云うロッキード事件です。当時の総理大臣田中角栄氏と国際興業グループの創業者で社主の小佐野賢治氏の仲は「刎頸之友(ふんけいのとも)」と云われ、きわめて親密な付き合いのたとえだったと認識しております。これらの友だちの呼称とマスメディアから得る実情からして、正に「政商」で、これを検索してみますと、政治権力者と結託して優位に事業を進めた事業家とあります。
今回のことも含め「歴史は繰り返す」ことの表われで、どことなく胡散臭さを強く感じずにはおられません。
本来、本当の友とはこれらの実情と違い、相互に利用価値を認めると云う経済的利益を第一義でなく、旧制一高の寮歌の一節「友の憂いに吾は泣き、吾が喜びに友は舞ふ」の明治時代の理想を述べるつもりはありませんが、昔から「俗の中こそ真理が有る」は事実なのかだと思っています。