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    人生・仕事・事業に関する雑記 その4
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      今回は番外編として現在の政治のあり方について私の思いを記してみます。

      政治に興味を持つが、相変わらずの不信感が募る

       

      私自身にとって政治不信は今にはじまったことではありません。

      1985(昭和60)年2月の私のエッセイに以下があります。

       

      激昂仮面(げきこうかめん) 

       

       自分の発言に確たる責任をもつことが、国政を預かる人のせめてもの矜持(誇り、プライド)でなければと思います。「増税なき財政再建」も今や画餅に帰する感があり、議会答弁の「誠に遺憾に存じます」で一件落着のお互いの無責任さには、中国の故事ではありませんが、国の最も大切な「信」の存在さえ危ぶまれてなりません。今や彼等の「政治生命をかける」などの言葉の重みは、私にとっては一円のアルマイト貨にも劣ると思えてなりません。

       

       

       ですから、私はこの考えをもとに、政治家に対する思いは昔も今も変わらず、こん日まで政治家に近づかず、近寄せずのスタンスでまいりました。

       

      現在大きく世間を騒がせている学校法人「加計学園」や「森友学園」等の一連の問題を、マスメディアを通して知り得ることで、感じた3つのことがらを記します。

       

      先ず、6月24日の安倍総理が産経新聞の「正論の会」でのスピーチをTVで観ました。そこで論語の孔子の言を引用して「信なくば立たず」と発言していました。政治は民衆の信頼なくして成り立つものではないことの意味ですが、加計学園などの問題の発端は、当人の政治家としての「信」の欠落が問題視されていると思っている私にとって、軽々しく「信」を云うその発言は、私には、腹の内と発言が違うとの証左に他ならないと感じました。

       

      ◆二つ目に「李下に冠を正さず」(「古楽府」君子行)があります。総理たる者の行動は常に用心深く慎重にして、他に誤解を招くような行動をすべきではないという戒めにおいても、身内の昭恵夫人の言動を含め、この問題の入口たる総理の立ち位置が高潔さ、公明正大の観点から疑念視されていることを自覚、反省して今後は身を慎むべきだと思います。

       

      ◆最後に「驕れる者久しからず」です。今回のようないたずらな政治の混乱の責は「己れにあり」との、自戒と自律は必須なことで、これを他に転嫁する姿勢は潔くない態度に見受けられます。

      これらは、リーダー論としてこれまで身近かに学んで来たものですが、リーダーが本質を見誤ると、国も会社も衰退するのは今も昔も必然なことだと思う昨今です。

       

       

      7月2日に東京都議会議員選挙が行われます。そこで現在の政治不信のバロメーターがどうなるかと判明するわけですが、国民と都民の「信」が自分たちにどのようにもたらせられるか否かを、今から自問自答しておいて欲しいものです。

       

       

       

       

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