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人生・仕事・事業に関する雑記 その30
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    酷暑の日々に「生病老死」を考える

     

    昨今「人生百年時代」と云われるようになりました。 世間では、一般的なこととして「老後は第二の人生を」と謳われていますが、私は百年時代の3/4を過ぎた今日(こんにち)、人生のありかたの“生病老死”をしっかり学んでおきたいと思うことしばしです。

     

    ■生病老死は人の一生を四分割してのことではない

     

    考えますに、この“生病老死”は人生の一時期を均一に四分割ではなく、=生まれ来て生きる苦しさ、辛さなどの喜怒哀楽など心のあり方の期間が9割がた占めているのではないかと思われます。

    これに続くについても、私の場合ある日突然病を得て緊急入院して、病院のベッドで遅々と進まぬ“時”と云うものを経験しました。 この病は医者に云わせれば、私は一生付き合わされるとのことで覚悟はしておりますが、病気のなかでもこうした思いもよらないアクシデントとしての病と云うこともあります。

    また、現在は統計上二人に一人はがん患者となり、その3年生存率は、直近の発表で72.1%だとのことです。 そればかりか、京都アニメ社の被災者の悲惨さを見て、生命のはかなさ、脆さを感じて、誰しも“死”は身近なもので、人の生死は時と場所を選ばず、本当にさまざまです。

     

    ■誰しも老いは確実に来る

     

    また、私は現在も日々会社に出勤していて、「モノとコトの整理」に励んでいますが、この夏の暑さの中、を一層感じないわけがありません。

    正直なところ体力・気力とも衰えて、意欲的に暮らすための因縁果を認めつつ、現在(いま)は「蒔いた種は刈らされる」との昔からの例え通り、「モノとコト」の後始末に追われる日々を過ごしております。

    これは「生涯現役」を自らが強く望んでいるわけではなく、究極の課題は、「モノとコト」の早期解決と遣り残しを少なくして、心の負担を軽くしておきたいとの思いだけです。

     

    ■パターンは帯グラフだと思う

     

    つらつら考えますに“生病老死”のパターン(形)は、循環型のサイクルではなく、縦の直線形でもなく、横の帯グラフではないかと思います。

    そして、形なすこのの範疇のほとんどが、突き詰めてみると、私の場合は経営・事業・学ぶ・伝えるなどのことがらだと思っています。

    それらが私の“生病老死”のの哲学とも云えるものだと、近頃考えられるようになりました。

    モノには限りがあり、人の寿命も同じだと切に思います。

    善人・悪人、富む者・貧する者も、人はの現実を、避けられません。 最近の、駅から社への道すがらにある旧来からの商店の閉店の貼紙などで、これを強く感じさせられます。 目を通しますとご主人が死んで店の営業が続けられないことでした。

    人も商いも栄枯盛衰、これは誰しもどう抗えても避けられない現実なのだと思います。

     

    ■生きる証しを自分に遺す

     

    ここ数年、私は思うことがあり数冊の冊子を上梓いたしました。 その想いの底には「自身がなにをもって生きて来たか、次に続く若者のために」との証しと願いを少しでも具現化しておきたいと思ったからでした。

    ようやくそれを終えてみて、この考えが正しいか否かは、自分では真から理解しているわけではありませんが、本当に正解を出せぬまま無器用でも、今はこの「遣り残しを極力少なくする」とのこの道を歩むしかないのだと思っております。

     

    ■揺るがさない信念

     

    最近、俳人の高浜虚子の 『去年今年(こぞことし)つらぬく棒の如くもの』の句を改めて身近にいたしました。

    “生病老死”の思いのなかに、突然目に飛び込んで来た句でした。

    解説で「棒」とは虚子の信念・意志を象徴している、とありました。

    人の「生病老死」の思いのなかに接した句で、揺るがさない信念を棒としたことであり、多少とも共感することが出来たことでした。

     

     

     

     

     

     

     

    | 人生・仕事・事業に関する雑記 | 13:36 | comments(0) | - |
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