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人生・仕事・事業に関する雑記 その26
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    始末をつけておくこと

     

     現在、心にあり努めていることに「始末をつけておく」ことがあります。

    そのひとつに、生家の更地にした土地の処分と、相続した貸家の始末です。特に貸家については70年前の親の代からのことで、契約書等などもなく、先方も当事者が亡くなり相続をした方との交渉となっております。

     遺された家族がこれらの難題の解決に煩わせるのは、私の本意ではありませんので、やりきりたいと思っております。

     もうひとつは事業のことです。昭和の時代の起業、さまざまの出来事の克服に大いにエネルギーを費やした平成の時代もあと数日、来年は東京オリンピックの年で創立50周年を迎えます。

    「終わり良ければ 全て良し」の気構えで臨んでまいりたいと思っております。

     

    ♪春の日の花と輝く

       ―― 訳詞の素晴らしさに感銘を受けました

     

     四月上旬の桜花の盛りの土曜日の午後、長いお付き合いの友人のピアノコンサートに招かれ、代々木上原のホールにて非日常のひとときを過ごしました。

     終演間際に、友人がピアノ伴奏のボランティアをしているシニアの女性たちのグループの合唱がありました。

     事前に配られた歌詞カードに「♪春の日の花と輝く」とありました。私はこの歌詞を一目見て、訳詞の素晴らしさに感動し、このブログで紹介したく下記に転載いたしました。

     昨今の流行りの歌番組の歌詞を含めた内容に、へきへきして興味も失せていましたので、私はしっかりこれらの詩を心に刻み込みました。

     あわせてメンバーのソプラノの歌唱力も素晴らしいもので、休日での参加の負担も感じず、何か大変心が豊かになって幸せを感じつつて会場を後にしました。春の季節でお天気にも恵まれたこの日のコンサートでした。

     


    春の日の花と輝く

    アイルランド民謡

    アイルランドの国民的詩人 トマス・ムーア

    Thomas Moore17791852)のよる詩

    堀内敬三訳詞

    1.春の日の花と輝く うるわしき姿の 何時(いつ)しかに褪(あ)せて移ろう

      世の冬は来るとも わが心は 変わる日なく 御身(おんみ)をば慕いて

    愛はなお緑 色濃く わが胸にいくべし 

     

    2.若き日の頬は清らに わずらいの影なく 御身いま艷(あで)にうるわし

    されど面(おも)褪(あ)せても わが心は 変わる日なく 御身をば慕いて

    向日葵の陽(ひ)をば 乞(こ)うごと 永久(とこしえ)に思わん

     

     

     

    | 人生・仕事・事業に関する雑記 | 17:11 | comments(0) | - |
    人生・仕事・事業に関する雑記 その25
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      平成と云う時代の終わりに

       

       去る2月に野口悠紀雄著―平成はなぜ失敗したのか「失われた30年」の分析―を購読いたしました。

       著者は「本書の中心は経済分析です。とはいえ平成の30年間は思い出せば、さまざまな感慨に囚われます。時代の大きな変化に翻弄されて、人生が大きく変わってしまった人々が、私の周りにも大勢います。」と記して、また、この30年間を一言で言えば世界経済の大きな変化に日本経済が取り残された時代だとしております。

       

       5月1日の代替わりを控えて私が思いますに、平成と云う時代は、日本にとって経済政策が失敗したことに加え、東日本大震災をはじめとした自然災害の大きな影響を受けた時代だと、今さらながら強く感じます。

       そうしたなか誠に有難いことに、こんにち恙無く過ごしていける自身を認め、幸いなるかなとの思いが深いこの頃です。

       

      引き際を他に学ぶ

       

       思い起こせば1962(昭和37)年に上京し、サラリーマン生活を経て、事業家のスタートは1971(昭和46)年の青年期でした。その頃は無我夢中でアクセルをふかし続け、前進あるのみでした。

       1989(平成元)年の壮年期は、バブル経済の浮ついた危うさのなか、己れを慎み、そして律してブレーキばかりを踏み込んでおりました。

       そして2008(平成20)年9月の米大手証券リーマン・ブラザーズが経営破綻、いわゆるリーマンショックで私も協同事業会社の倒産でかなりの痛手を被りました。

       それに加え2011(平成23)年3月に、東日本大震災で所有不動産と同事業に悪影響を受け、その後の対応策に翻弄された時期をしばらく過ごしました。

       こうして自らの努力もさることながら、誠に幸いなことに2015(平成27)年暮れには、山積した法人の大きな課題の処理を滞りなく終えることが出来ました。

       考えますに、いまでは経営者の誰しもが経験出来るわけではない、得難い数多くの体験をし、こうして無事に実りある多くのものを得た実感があります。

       

       21日の深夜に米国大リーグ・マリナーズのイチロー外野手の引退会見をTVで見ておりました。プロの引き際はどうあるべきかを身近かで学ばせて頂き、そして、多くの人に感動を与え、愛惜(あいせき)の情を持たれての引き際が「男の美学」だと分からせられました。


      人の縁を大切にする心の人は

       

       どんなに名だたる人であろうとも、礼節に欠け、モノゴトの道理を弁えず、上からの目線での方が居られます。初めておめにかかり、ご挨拶を兼ねた礼状を差し上げてもなんらお返事を頂けません。こうした態度の方とは、私として近ずきたくないとの思いに駆られます。それでも人の一生は平坦ではなく、見かけとは違い心に余裕がない故の所作(しょさ)なのではと理解はしています。

       

       こうした考えを近頃日増しに強く感じますに、こうした場面に私も若い内は、「これも我慢だ、人生勉強、修業だ」との思いで克服して来ましたが、こん日では、「先々はそう長くない、不愉快な思いは避けたい」と消極的になります。

       

      こうした反面、男女問わず私が感服して、願ってもお付き合いしたい人とは

       

      ●礼節に叶い モノゴトの道理を弁えた人。

      ●いくつになっても、なにごとにも興味を持ち、前向きに努力する人。

      ●常に自身が向学心、向上心を忘れず努めている人。

      ●美意識を持ちsmartさを持ちあわせている人。

      ●他のために汗することを、さりげなく実行している人。

       

      今や、人と人との縁は、心底から「心の栄養となる」との思いを深めている今日この頃です。

       

       

      | 人生・仕事・事業に関する雑記 | 14:33 | comments(0) | - |
      人生・仕事・事業に関する雑記 その24
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        中学2年生「立志式」を参観して

         

        都内の区立中学校2校の「立志式」を思うところがあり参観いたしました。

         

        ◆私はこれまで創業の事業家として約50年近く活動してまいり、還暦を過ぎた頃からライフワークとして日本の産業の次代を担う若者に、現状をより強く活性化する必要を感じ、また若者自身が「自己表現・自己実現」のための起業・独立を促し、そのための「生み・育てる活動」に努めてまいりました。

         こうしたなか最近、これらの活動を通して感じますことは、私が考えた「自己表現・自己実現」は若い人達が社会人となってからでは遅過ぎる、即ち「なりたい自分探し」を早い時期にそのきっかけをつくる必要があると気がつきました。

         このことで、色々模索しておりました処、中学2年生の立春の頃に「立志式」の行事があることを知り、近場の学校のなかから実施予定校を選び、お願いして参観してまいりました。

         しかし、これを学校行事としている学校は全国的に一部であることもありますので、微力ですが私のこれまでの社会貢献の集大成として、「立志式」を通して「なりたい自分探し」を啓蒙する活動を積極的にしてまいりたいと考えております。そのための現実の調査として2月に都内の区立中学校の2校の「立志式」に参観の機会を頂きました。

         

        ◆今回式典を参観させて頂き、正に「百聞は一見に如かず」と痛感すると共に、大変内容のあるまた貴重なる勉強をさせて頂きました。

         特に印象的な代表生徒による「こころざし」発表も、具体的な「なりたい自分探し」をしておられ、また生徒の方の発表の内容も発表姿勢も立派でした。

         また講師講演の方のDVDでの映像やお話しも興味深く、最後に「人間、若い内にやらねばならない、そして気力と体力が勝負」との人生訓もあり、生徒の方にも良き刺激になった講演だったと感じております。

         

        人間、早い時期に自らが志を立て、その意思を貫き通すべく精進して、充実した人生を歩むことの大切さを再認識して帰途につきました。

         

         

        人の生命の危うさと儚さ

         

         立春を過ぎ春の気配を感じられる頃に、水泳の池江璃花子選手が白血病の治療のため急遽海外遠征から帰国、またタレントの堀ちえみさんがステージ4の舌がんで手術した報を知り少々驚かされました。

         これらのことで、私が強く感じたところは、誰しもいくら万全に健康に対する心くばりをしていても、これらの難を避けることは、人間として到底出来ないのかも知れないと云うことです。

         

        病は襲いかかる

         私ごとですが2年前の夏に、動脈肺血栓症で緊急入院した際、ベッドのボードにCAUTIONと大きくカードが貼ってあるのを見て、自分が危険な状態であることがわかりました。そのとき、人の生命の危うさを痛々しくも感じたものです。

         その後通院して治療を続けておりますが、そのなかで担当医師から原因のひとつとして遺伝的に血液検査の結果「プロテインC」の数値が正常の半分位低いとの指摘を受けました。これまで人並み以上に健康に留意し、数多く人間ドックの受診を継続して来ましたが、この血液検査における細部まで指摘されたこともなく、人間は罹患した初めて自分のからだの弱点を分からせられると痛感しております。

         結局、人とは元来頑丈そうで、意外に脆いものだと思わされております。

         

         

         

         

         

         

        | 人生・仕事・事業に関する雑記 | 15:01 | comments(0) | - |
        人生・仕事・事業に関する雑記 その23
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          人生100年時代の片隅で

           

           

          「人 常ならず 変化がある」

           年末に喪中のハガキ、新年には年賀状を頂き、お付き合いしている皆さんの消息が分かります。また、その中にご自身の年齢からして、この賀状を最後として今後のお付き合いを終わらせてもらいますと添えがきがあったりしました。

           また、1月の半ばに入り近しい経営者の友人からの封書で、ご子息に社長を譲り、ご本人は会長職に就いたとの報を頂きました。「人 常ならず 変化がある」を強く感じております。

           

          「余生(よせい)を考える」

           中小企業経営者における創業社長の身の振り方については、昨年11月に「大廃業時代・創業社長の事業の継なげ方 終い方」を上梓して、誰しも年齢からする身の処し方に関する実情を理解しておりますが、その後の「余生(よせい)」についてふれてみます。

           要は人や事業会社にはそれぞれの考えや事情があり、「事業の継なげ方 終い方」もさまざまです。余生とは個人的なことがらとして“やるべきことをやり終え、余ってしまった人生”と理解していますが、この“余った人生”どのように過ごしていくかを人生100年時代をベースとしてみますと、私のように仕事人間には“どう過ごして行くか?”と人一倍深い思いを巡らしたりしております。

           

          「モノとコトの整理」

           ここ数年来「モノとコトの整理」に心がけ、その道半ばですが、未だ未だ処理して遣り残しを少なくする心づもりでも、結果は不十分なありさまです。

           そこで「余生を謳歌して余裕綽々な方など本当に稀なこと」と思いつつ、自分はやるべきことが山積しているから、それからのことは、先ずこれ等を片づけてからと思うようにしております。

           数多くの友人、知人に限らず年齢を重ねなかには、ご自身も家族の方も健康を害したり、思わぬことで新たな地に転居して、生活の糧のために慣れぬ仕事をしたり、これも「人生いろいろ」です。誰しも身辺整理の心づもりなのかと思っております。

           

          「終わらない人生」

           かって近しい友人、知人が私の古希のお祝いをして下さった折に、御礼状に俳句をつくり添えたことを思い出しました。

           

          青 年 の   気 概 を 語 る      古 希 の 宴 

          余生とは   仕上げの ( とき ) と 友 に 云 う 

           

           近年、巷間では「人生100年時代」と云われていますが、私たち人間にとって何が幸せなのであろうか?と考え、人は誰しもそれを知るための旅人なのかと思ったりしております。

           

          昨年末に私の尊敬する事業家でコンサルタントの方よりメールで


            「人生100年時代」、どう生きるか。生き様です。

            学ぶ30年、働き育てる30年〜40年。

            そして、活かして生きる30年。

           

            「終わった人」なんて、とんでもない。

            「終わらない、学び続ける人」でいたいものです。


          とありました。「我が意を得たり」と感激いたしております。

           

          | 人生・仕事・事業に関する雑記 | 13:12 | comments(0) | - |
          人生・仕事・事業に関する雑記 その22
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            人間関係から 自らが学ぶことの大切さを知る

             

             私のこれまでの人生を振返って、「人生の師はこの世の中で出会った方々だ」との思いは、他の方に比して深いものがあると思っております。

             また、自らの人生を豊かにすることにおいても、大切なことは人間関係から学ぶことが多いことだと深く認識しております。

            ですから、人がこの世に生きて行く上において、お互いに理解し合え、ご厚誼を頂いた同世代や年長者から学ばして頂いたことがらが、現在の私の常日頃において「向上心」「向学心」の姿勢を忘れずとの志と、その継続が大切なこととの認識に継がっております。

             それ故にお互いに学ぶ姿勢や誠実さが大切だと認め、なによりも私自身の人間性が大事なのだと、自戒自重をもとに常々その人間関係に気を配ってまいりました。

             

            他からの厚情に対し反応する

             そうしたなかに近頃の人達を接して気づくことですが、余りにも人間として大切な「礼節」に悖(もと)る人が多いと懸念を感じています。礼節とは、この世で人がふみ行うべき正しい道(道義)を理解し、人としての節義を修めることとあります。

             心から常々感じていることですが、他の人からの頂く厚情にすみやかな対応、例えば私が上梓した冊子を挨拶状と共に謹呈しても、半分位の人からの何ら反応がないことです。

             これらは人との「礼儀作法」について気が付かないのか、周りから躾けられていないのか、学んでこなかったのか、全て、なにかにつけ強くこのことを感じていて、反面この先、その人との厚誼のあり方が案じられております。

             

            懸念とリスク

             また、身近な一例をあげますと、駅のホームや歩道でのスマホを見ながらの歩行、電車を降りる際の「降ります」との一言もなく、からだで他の人を押し出す様子、これらひとつとっても寸暇を惜しむためとか、その一言を惜しむからとか、などの起因する行為では全くなく、これらは礼節(マナー)を欠き、またさまざまなリスクを生む全くもって危険に継がる行為だと感じます。

             

            忠告・指導は愛情があればこそ

             そこで思いあたりますことは、一般的に人との交わりのマナーにおいて「それは そうではなく、こうだよ」と無私の精神で若者を指導する人(親、先輩、上司など)が存在しないからだとも痛感します。これは若いうちに気づかされ、本人の今後の社会生活に過ちを犯すことが少なくなれば・・・との忠告や指導は、云わば親切心であると強く感じていますが、これを解かって欲しいこととの思いでの、こちらが控えめに伝えても残念ながら通じません。

             今どきはこれを「苦言」と云うものなのだと思いますが、愛情をもって彼等のためにも注意や指導する人の存在が少ないのではないかと懸念しております。

             

             

             

             

            | 人生・仕事・事業に関する雑記 | 11:29 | comments(0) | - |
            人生・仕事・事業に関する雑記 その21
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              生きて行く 日々のなかで

               

              価値ある人生のひと時を自分のものに。

              価値ある人生のひと時とは、良き友(朋)と語り、良き本を読み、美しい自然の移ろいのなかに身を置いてこそ、価値があると思います。

               

               都心に住まう身として、休日はお天気が良ければ散策に精を出し、近くの都立公園などを訪ねます。 徒歩のときも、近くまで電車を利用することもあります。特に日本庭園のある公園がお気に入りです。

               それは、日頃のあれこれで頭が固くなっていて思考不全となっていたり、またマンション住まいでの閉塞感のある生活の味気なさを解消すると共に、次に控える新たな1週間のスタートを、心身ともに万全にしておきたいとの思いからです。

                

               なにかと疲労を覚える五体には、そよ吹く風、天を突くごとくの針葉樹や、紅葉した広葉樹、池にそそぐ滝の水音、野鳥の泣き声など、それらに接して歩を進め、歩き疲れますとベンチに腰掛けて無心の場をもっております。体調は色々ありますが先ずは歩き回れる有難さを思い、そして心が清々とし、大いに気分転換になります。 水辺には鴨がいる、カラスも居る、彼等は自分のエサを探して、互いに争わない。 その様子を見ていて、何かを感じ、考えることがあります。

               

              あとひと月で新しい年を迎えます。私にも色々ありましたが善くぞ、ようやくの思いしきりです。

               

               

               

               

               

               

               

              | 人生・仕事・事業に関する雑記 | 16:06 | comments(0) | - |
              人生・仕事・事業に関する雑記 その20
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                単なる継続が大事でなく 見切りも大切

                 

                 私たちが毎日健康で、日々無事に生活出来る幸せは、当人においては無事の最中にはその有難味を十分理解出来ないものだと感じさせられております。

                 

                 私は、この春頃より突然の皮膚疾患で、腹部や両下肢にコイン状の湿疹が出来、痒みで夜も寝られず、朝の起床時にはからだの症状を見るとかなり酷く、処方された軟膏ですばやく処置し、出勤する日が半年ほど続きました。

                 これまでは会社の近くの総合医療診療所の皮膚科にて、週一回の午後よりの診療を受けていましたが、ただ痒み止めの軟膏を塗る処置で、アレルギー性の症状と自分で判断しておりました。

                  

                 夏も過ぎ、それは一向に回復の兆しもなく、憂鬱な日々を過ごしてまいりました。

                なにより辛いのは、入浴も出来ずシャワーで一日の汗を流し、軟膏だけを塗り、アレルギーをセーブする薬を服用する毎日でした。またアルコール類を少しでも飲むと全身が大変痒く赤くなり、外での会合の折など、その後遺症が苦痛となっておりました。

                 

                 その頃気がつきましたことは「病気とは気を病むことだ」とつくづく感じました。

                この診療所の他の診療科目も同様ですが、御茶ノ水にある医系の大学よりアルバイト的に週一回の診療日に、その若手の男性の派遣医師に受診するわけですが「何故こういう症状になったのか?病名は?治療法は?だからこのような薬を出します」等のインフォームド・コンセントのメッセージもなく、治療に当りこちらの症状を詳しく見ないでパソコンでタイピングしているのみで、薬の処方箋をもらって来ましたのが実状です。

                 

                 ある日、我慢もこれまでと私自身、また半年ほど進展もないことの不信感で、次の行動に移しました。

                ここ数年来、これも会社の近くの個人開院の歯科医院に月一回治療とメンテナンスのため通院しておりました。

                治療を終え、自身の皮膚炎の話しで困惑していると伝えますと、同地域のこれも個人医の皮膚科の医院を紹介され、さっそく予約して行きますと、病名を手許のカラー図鑑にて指摘され、写真にある症状が理解され、これまでの半年余りの私への治療とは違う軟膏の治療の処方箋を出して下さり、実際にその使い方を丁寧に指導して下さいました

                図鑑のコピーも下さり、しっかり指導され、これで幸いなことに近日は少しずつ快方に向かっております。

                 

                 その先生「なぜ、これまで治らなかったのでしょうか?」と質問しましたが、この種の薬はともかく強い薬効があるものが必要で、これまでの薬では効果が弱く、その軟膏の塗り方も違っているとのことでした。

                 

                 これら一連のことで私は決断に至りましたことは「単なる継続が大事でなく 見切りも大切」と云うことです。すなわち、いつもの通りで駄目であれば、他の方法を探り、何も考えないでただ漠然と治療を継続していたら、その時間、費用、神経の憂いなど考えますと、私にとっては大いなるロスだったと今では痛恨の極みです。

                 

                 話は変わりますが、この10月末に、1ヵ年程の期間を取材・編集してまいりました冊子「大廃業時代・創業社長の事業の継(つ)

                なげ方 ( しま ) い方」を上梓致しました。

                 (Amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4909795006/ )

                 

                 テーマは中小企業の創業社長の事業の継なげ方 終い方で8名の方のインタビュー集ですが、特にこの中で終い方について「事業の始末(継続だけでなく見切り、潮どき)の決断は早く、相談できるプロを身近にしておくこと」と答えて下さった方がおられますが、今回の私の皮膚疾患のことでの対応も全く同様だと思いました。

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                | 人生・仕事・事業に関する雑記 | 15:20 | comments(0) | - |
                人生・仕事・事業に関する雑記 その19
                0

                  再び 人 生き難し

                   

                   7月に発生した中国・四国地方の豪雨での被害と、9月の北海道胆振東部地震での大惨事の被害で、亡くなられた方の多さの情報に接し、日本は正に“災害列島”との認識を新たにしております。また私としては現在ボランティア活動で大活躍の尾畑春男さんにはとても叶わないことですので、私が出来ることとしての多少の災害寄付行為で、自らの心を納得させて頂いております。

                   

                   今回の2つの大災害に関して、購読している「月刊情報誌FACTA」10月号の巻末の記事によりますと、日本屈指の防災学者 室崎益輝(むろざき よしてる)兵庫県立減災復興政策研究科教授が9月10日に日本記者クラブでの記者会見で

                   

                   次の災害をなくすために伝えなくてはならないのは、

                  〆匈欧了長鵑記⊆然の偉大さ人間の愚かさた祐屬料農欧蕕靴気了佑弔世、,虜匈欧了長鵑気鉢の人間の愚かさは、遺族や行政の反対で、伝えるのが実に難しいと語った。

                   「残酷さをもっと伝えないといけないんですけど、概ね災害は美談のほうに話しがもっていかれて、美談は美談で重要なんですけど、(次の災害をなくすためには)いかに残酷で、悲惨で、無慈悲で、不条理かということを伝えなくてはいけないんです。」とあります。これを読み、残酷な記事ですが目をそらさず、正面から向き合うべきことだと思いました。

                   

                   

                   また、この記事を読み、かって上梓した『ロマンと算盤と―私の120ヵ月』(1988年4月)のなかに“人 生き難し”を読み直しております。

                   

                   

                     人 生き難し            1988年4月  

                   

                   中国、上海における学芸高校生の列車事故遭難死の報は、これから将来を夢みる若い生命であるが故に「人 生き難し」の思い頻りです。そしてこれらを含めた交通事故の原因は、いつも驚くほど単純、且つ基本的なことがらの欠落で、日常無意識にその線上にいる我々の不安定な生命の脆さに、限りなく恐さを感じます。人の生命のはかなさを知れば知るほど、今もこれからも、どのような人とも仲良く、円満にやって行きたいものと願わずにはおれません。

                   この四月、当社は新しい営業年度(第十八期)に入りました。

                   「今日、たった今までやって来たことは、全て明日のための準備である」との気概で、誠実なる努力をしてまいります。それが幸いなことに生かされている者の努めだと、認めさせて頂いております。

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                  | 人生・仕事・事業に関する雑記 | 10:40 | comments(0) | - |
                  人生・仕事・事業に関する雑記 その18
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                    人生百考―人間は考える葦である―

                     

                     「人生・心のあり方」をテーマに、ここ数年来のメモ書きを纏めた冊子を9月上旬に上梓致します。冊子名は「人生百考」―人間は考える葦である―です。

                     自分の生き方の奥底においている「誠実を尊び 労を惜しまず 言い訳けせず」として来た折々の場面で感じたことがらのメモ書きを整理したものです。

                     これらは私が生きて来た歳月を振返るとき、ものごとが上手く行った時は深くは感じず、反面の「しまった」との痛恨の痛みのなかで分からせられたことがらの多くです。その一部を紹介いたします。

                     

                     ●人の営みの結果

                       自然災害を除けば、この世の出来ごとはすべて人の営為つまり人の行いの結果。仕事をはじめ、勉強や趣味、遊びももちろん人の営為、つまり人の意思が働いていることに他なりません。そしてその営みを見る限り、人の欲望を初め自己実現の形や結果は、いつの世も変わらないように思えます。

                     

                     ●十年を区切りとする   

                      ことを成すために十年は覚悟を。 目標を達成する、結果を出すには思いのほか時間がかかります。 あせらず、十年をひとつの節目として考えてみる必要があります。

                      ※ イエローハットの創業者鍵谷秀三郎さんに「10年偉大なり 20年畏るべし 30年歴史なる」という言葉があります。 この十年は思いようで、長くとも短く感ずる今日この頃です。

                     

                     ●社会に関わっていく生き方    

                      自分の人生は、終始一貫して「生産人口」の域内にいたいものと努めております。「人生百歳時代」といわれますが、一般論の「生産年齢人口」(生産活動に就いている中核の労働力15−64歳)を過ぎても、社会に関わっていく立場、いわば「生産人口」の域内にいたいとの思いが強い今日この頃です。

                     

                     ● 我慢と忍耐の違いを知る    

                     「我慢」と「忍耐」は同じではありません。忍耐とは、苦しさ・辛さ・悲しさなどを耐えることですが、我慢には仏教の言葉で、強い自己意識から逃れられず起こす「慢心」の意味も含まれています。 逃れることのできない慢心とは、いわば修行のひとつと心得たいものです。

                     

                     ●「争い」から学ぶこと    

                      人生をより深く学ぶなら、人との争いごとを避けてばかりでは出来ません。そのときは自分自身にとっての試練と知ることです。なぜ起こったのか、どうしたら回避できるのか、その分析と反省こそが次の争いごとを避ける手立てです。 また、争いですから負けることも、あるいは傷つくこともあります。しかしそれは相手も同じ。立場を入れ替えて考えてみるのも、より自分を成長させてくれます。

                     

                     ●「信じる」ことの危うさ    

                      人を信じることはたしかに大切であり、しかも意外と易しいことでもあります。 ところがそれはリスクの大きな「盲信」となりかねないことを知っておく必要があるでしょう。 盲信すれば深く考えずに済みますから気持ちは楽になります。その代わり、背後にある真実や事実が見えなくなり、後々思わぬ痛手を負うことになります。

                     

                     ●勝ち馬に乗らない     

                      なにごとにおいて大切なことは、一つひとつ自分の判断で前へ進むこと。他の人の判断に頼って勝ち馬に乗るようなことをしても、結果は必ず自分に返ってきます。最終責任は自分 が取らなくてはならないのです。 勝ち馬とは結果のわかった勝負、つまり安易な選択肢です。「読み(状況を)・踏み(先を瀬踏み)・決め(決断)」は自分で。

                    | 人生・仕事・事業に関する雑記 | 15:09 | comments(0) | - |
                    人生・仕事・事業に関する雑記 その17
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                      「先憂後楽」の思いを書き遺す

                       

                       「先憂後楽」という四字熟語があります。

                       75歳を過ぎた今、後楽というものを味わう域に入り、それを少なからず体験しておかねば、私の人生の帳尻が合わないのでは?と考えたりしています。

                       というわけで今年のGWは、相変わらず出社もしましたが、前橋に墓参、後半のお天気のよい日は新緑の近場の散策、そして本屋に寄るなどで終わりました。

                       これは不満を申しているのではなく、反面幸せだと思っております。それは、なんといっても体が自由に動くからできたことです。  ここ数年は、病を得て、しばしベッドに縛られていた身としてはそう思わざるを得ません。これこそ身をもって知る反面教師と云うことなのです。

                       

                       これまでの私は終始「仕事・事業・経営」からの発想で生きてきました。そのための著作も数冊上梓することができました。そんな出版作業のなか、心が感応したのは仕事・事業・経営は私たち人間の「営為」(人間が日々営む仕事や生活)であり、その根底には人間性が現れる行為がある、ということです。

                       仕事は、よくも悪くも相手という人間の行為に影響されるものです。故に、ことに当たる際「人間を学ぶ」観点を持つと、感じるものが何かあるのです。

                       そういった日頃自身が感じた思いを雑記として書き留めてきたものを、整理し、いつかひとつの形にしたいとの心づもりでした。

                       

                       つらつら考えてみると、私自身の性格・生き方はじつに直線的でした。思いつき、計画したことは、何としても早めに処理したいとの思いが先行し、行動してきました。

                       心身を休める、安逸を求めることの大切さは理解していたつもりですが、それでも心が休まるようなことに身を任せるのが不得手でした。遣り残しや、日延するなど、妥協する自分が許せないのです。そんな私が、「曖昧模糊」のままにしておく何かがあるのは、自分らしくないとの思いを強くしたことがあります。

                       また、人生の「のりシロ」を意識しつつある今日、なにを優先して日々を過ごそうか考えてみました。そして、今回、人として生きてきた途で、即ち、身を持って感じたその都度、書き留めておいたことがらを纏めることにしたのです。

                       

                       気が付くと、これまでの歳月は月並みですが、あっという間だったような気がいたしております。古希を過ぎた私が自ら感じた、それも個人的なことがらのみを、今回は纏めてみようとしております。

                       テーマは「人生・心のあり方」。長年歩み続けてきた山あり、谷あり、けして平坦ではない途のりを生きてきたなかで身をもって学ばされたことがらです。 2017年7月にこれも同じ気持ちで句集「十年一節」を上梓いたしました。その巻頭に「生きる道 ひとつ一つの こころから」との句を掲げました。これまでの歳月「心のあり方」を手探りし、それを確かめて生きて来た日々でした。心を込めて整理して進みたいと思っております。

                       

                       

                      | 人生・仕事・事業に関する雑記 | 11:30 | comments(0) | - |
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